私は時折眠れなくなる時がある。
それには特に理由があるわけではない。きっかけというのならあるかもしれないけれど、意識的にも無意識にもそれを認めようとはしない。
ただ、こういう時にすることは決まっていた。
いつも、なら。
いつもなら、布団を抜け出してベッドに座り彩音のことを見つめる。
頬を撫でたり、髪を撫でたり、ほっぺをつねったり……唇に触れたり。
行為以上のことをしたいと思ったことはあるけれど、彩音が寝ている状態ではほっぺにキスをしたりすらしない。
したいとは思った、キスをしたいし、一緒に寝てしまいたい。大好きな人のぬくもりを感じて眠る幸せを知っているのだから。
でも、しない。できないわけじゃない。たとえば、一緒に寝たとしても彩音は驚きこそしても怒ったりはしないだろう。キスをしても、証拠なんて残らないし仮に気づかれたりしたところで、これは怒るかもしれないけれど嫌がったりはしない。私のことを嫌いになったりなんて絶対にないのは確信できる。
でも、しない。だからしない。
こんなのはフェアじゃないから。
いつもなら、そんなできるのにしない自分に悶々とするだけ。
けど、今の私は布団から出ることもせず、あることを考えていた。
それは、すなわち。
(……引っ越してたらどうなってたのかしら?)
そんな選ばなかった未来のこと。
今、一緒に住んでいる状態で眠れない夜に今振り返ったようなことをするのはいつも一緒にいるからだと私は考えている。
矛盾しているかもしれないけれど、いつでも一緒にいるからこそ私は……少し奥手になってしまう。いつでもキスできるからできない。そんな矛盾。
(……彩音と一緒に住みたいって思ったときはそんなこと考えもしなかったのにね)
一緒にいられることの幸せに目がくらんでいて、それによって生じる何かなんて考えもしなかった。
もちろん、今の私は幸せだ。好きな人と一緒にいるのだから。
ただ、その幸せの中でも今考えたようなことを思ってしまうのも事実で、そんな時間を積み重ねた私はつい選ばなかった未来を想像してしまっていた。
(……まず、少なくても一か月に一回は会いにくるわよね)
ほんとは休みのたびに来たいけれどさすがにそれは現実的じゃない。
(一か月も……会わなかったらどうするのかしら?)
まずそんなのに耐えられるわけないと思いながらも、それはともかくとして私はそんな今後も絶対にありえないことを想像してみた。
「……すぅ」
深く息を吸って、
「はーーー」
大きく息を吐く。
もう慣れきったはずのその場所で私は落ち着かない体と心をどうにかして整えようとする。
ここは彩音の部屋の前。一か月ぶりに会う彩音の部屋の前。
彩音は駅まで迎えに来ると言っていたけど、私はそれを断って彩音に気づかれないよう合鍵を使って彩音の部屋の前まで来ていた。
一か月、たった一か月。人生で一番長く感じた一か月。
引っ越してから初めて彩音と会う日。この日を毎日望んでいた。この日だけを待って日々を過ごしていた。電話ではほとんど毎日話してはいたけれど、直接会えると思うと全然別。
昨日はまるで眠れなかったし、今これほど嬉しく思う自分と、彩音に会うなんていう当たり前のことでこんなに緊張してしまう自分がいることに驚いているところだ。
でも、彩音に会える。
それは、何にも勝る喜び。
「彩音、久しぶり」
そのことを噛みしめながら私はドアを開けていた。
(………バカらしい)
いろんな意味でありえないことを想像した私は布団の中で身悶える。
そりゃ一か月も離れていれば、会うのはすごく楽しみだろうし、緊張もするかもしれない。
けれど、いくらなんでも今考えたほどになるとは思えない。
(そ、そうよ。いくら会いたいからってそこまでは……)
少しはあり得るかもしれないけど……ではなく問題なのは会う前というより会ってからじゃない。
そ、そう一か月も離れてれば彩音なんて……
「ひさしぶりね、彩音」
ドアを開けた私は落ち着いた物腰で彩音に話しかける。
いくら楽しみにしていたとしても彩音にはそういう気持ちを見抜かれたくない。意地みたいなものだけど、私は彩音にとってそうありたいから。
「美咲!」
ベッドにいた彩音は私を見るなりいきなり、とびきりの笑顔になって
「ひさしぶり! 会いたかった」
ぎゅ、っと私に抱き着いてきた。
「ちょ、ちょっと彩音いきなり何よ!?」
(あ、彩音の香り……久しぶり)
「だって、久しぶりに美咲に会えたから嬉しくて」
(…………ない)
これは、ないわ。ありえない。
こんなこといきなりしてくるわけない。こんなことするような奴じゃない。そりゃ、抱きしめられればうれしいのは当たり前だし、もしかしたらほんとにしてくるかもしれないけど……
って違うわよ! 彩音はもっとこう……
ちゅ。
抱き着いたまま彩音はいきなり私の唇を奪う。
「ちょ、な、何するのよ!」
久しぶりその愛しい感触。
プルプルとグミのような柔らかさに、心地いい体温。それはまるで砂漠で餓えたところで味わう極上の雫のよう。
「だって、久しぶりだし。美咲の感触を味わいたかったの」
「もう……」
私は照れたように頬を染め、
「じゃ、もう一回」
再び彩音の口づけを受けていた。
(……だから!)
またも都合のいい妄想した自分を羞恥の炎で焦がす。
(さっきから何考えてるのよ!)
ありえないことばかり考えてる。ありえてほs……
「……………」
ないっての。
(あーもう! やめよ、やめ!)
自分の中で気に食わない思考がぐるぐるとし始めて、私は意識的にそれを打ち消す。
このまま考えてるとすごい不機嫌になりそう。自分に対してと……彩音に対しても。
それが八つ当たりだっていうことくらいわかってるけど、私のほうがはるかに幸せだとわかってるけど、それでも彩音に八つ当たりをしちゃいそう。
(さっさと、忘れよ……)
と、私は頭まで掛布団をして先ほどの妄想を忘れようと努める。
しかし
(……………っ)
そう思えば思うほど頭の中には先ほどの妄想がモグラたたきのように湧き出てくる。
「ふふふ、美咲……」
「だ、だめ……」
「久しぶりなんだしいいじゃん」
「そ、そこは……」
(あぁ、もうやめなさいよ! 私!)
やめなきゃいけないのに、頭の中で彩音はどんどん私に迫ってくる。
「ん、ちゅ……」
彩音のキス……普段がさつなところもあるのに、丁寧で優しいキス。
「はぁ……美咲」
絡められる彩音の指。暖かくて力強く私の手を握る彩音の指。
「彩音……ん、ん……あやねぇ……」
いつのまにか想像と現実がごっちゃになって私は、そう声に出してしまった。
「……なにー?」
すぐ横には想像なんかじゃなく彩音がいるというのに。